2017/02/09 16:46

有田焼とは・・・
1616年(元和2年)、北九州に移住していた朝鮮陶工の李参平が、佐賀県の有田泉山に白磁の原石を発見し、上白川天狗谷のかまで磁器の焼造に成功したことが始まりとされています。
これは、日本における磁器の始まりでもあり、そののち唐津にかわって有田が陶業の中心になるほど肥前一帯に多くの磁器窯ができました。
「有田の赤絵 伊万里焼」
17世紀前半、有田の酒井田柿右衛門が、明末五彩の手法を学んで赤絵(色絵磁器)を作り出しました。
これらは、オランダ東インド会社の大量買いつけによって、ヨーロッパに送られ、以後、有田の赤絵は盛んに海外に輸出されるようになりました。
また、有田の磁器は佐賀県の伊万里の港から盛んに国内各地に送られたため、「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。
ちなみに、鍋島藩は独自に藩窯を設け、鍋島焼を作り出しました。